May 20, 2012
ぼくのそんけいするひと
私には嫌いな人間が2人いた。長らく嫌いな人ランキング1位だった男からは「無能とは罪である」という事を学んだ。私の血縁上の父親だ。
嫌いだけど憎んではいなかった。ごく幼い頃は良い父親だったような記憶すらある。ただ、挫折の後、職を転々とし、ギャンブルにはまり、給料日に給料袋の中身をパチンコ屋に落としてきたりと、家長の責務を果たさなくなった後、反面教師になった。
あー、でも、私が博士課程在学中に借金残して自殺した事には恨み言がないわけでもない。おっと話が反れた。
ともあれ、貧乏だった。家族旅行など行ったこともない。駄菓子屋へ入っても買う小遣いはない。月に一度の外食の日(給料日だ)パチンコから帰ってこぬ父親を待つだけのこともあった。子供心に「うちは貧乏で不幸だ」なんて思ったこともある。
おろかなガキだった。
高級な食材など食べたことはなかったが、飢えた事はなかった。ブランド物など着たことはなかったが、凍える事はなかった。憧れのびっくりマンチョコは買ったことはなかったが、手作りドーナツはおいしかった。
すべて母の努力だ。
化繊工場へパートに行き、家事を片付け、軽トラを駆ってちり紙交換に回り、夕飯を作り、夜間のジュース工場のバイトへ行き、休みの日には内職にいそしんだ。
私を含む4人姉弟を飢えさせないために、日々働き続けた。それに対する愚痴や不満などを母の口から聞いたことが無い。ただ、育て、慈しみ、学ばせてくれた。
子供を養育する、ある意味当たり前なことかもしれない。だが、母と同じ環境におかれて同じことを求められたならば、とても私には実現できる自信はない。
1000人の命を救ったわけでもない。100年間役立つ技術を開発したわけでもない。誰もが褒め称える偉業を達成したわけじゃない。
それでも、私が尊敬する人は、母、その人だ。
その母が倒れた。心筋梗塞だった。
先天性奇形によるものらしい。以前から症状はあったはずという事だ。
涙が出た。確かに頑健な人ではなかった。そんな母にどれだけ負担をかけてきたことか。なぜもっと早く気づいてあげる事ができなかったのか。倒れても手を差し伸べることすらできない場所で暮らす自分の無力さに。
不幸中の幸いに、発作時すぐ側に友人がいたこと。その方がすぐに病院につれていってくれたこと。すぐに処置を受けられたこと。症状が比較的軽かったこと。カテーテルを入れ狭窄した血管に処置をし、比較的短期間で退院できた。
神など信じないが、その瞬間には確かに感謝した。誰でも良い、助けてくれてありがとう。
いや、違うだろう。まず感謝すべきは母だ。そして、迅速に対応してくれたその友人だ。
そんな訳で、昨日はお休みを頂き、帰省させていただきました。母の回復のお祝いと、ご友人に感謝を伝えに。祝いも感謝も実質何かになるわけでは無いが、行かずには居られなかった。
早期に適切な処置をしていただいた心筋梗塞は、術後の心配はそれほど大きくないとの事。少し安心した。
無能とは罪である。仮に罪でなくても、自らを恥じずに居られない。少しでも頂いたものを返せるよう、日々努力していかなければならない。初心に返り、また邁進して行こうと誓った。
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